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庭作りの基礎:日本庭園の歴史

  庭作りを行うのに、日本庭園はどのように移り変わってきたのかを理解しておくことは大切です。
庭を見ることによって心を癒されるだけでなく、趣味として庭を楽しむと言う方は特にこの日本庭園について知っておかれた方が良いでしょう。
庭の最初の記録は、西暦612年のことです。日本書紀に記されています。
百済から来た技術者が作ったのですが、これを基として須弥山と言われる石組みが現在も使われています。須弥山と言うのは、仏教で言う世界で一番高い山で、太陽や月もその周りをめぐると言われています。須弥山は八つの山と七つの海を伴っているとされています。

626年には、池の中に島が作られています。池は東の海を表し、島は仙人が住む不老不死の仙境、蓬莱山(ほうらいさん)を表しています。現在、池の中に蓬莱島として表現されています。

1053年藤原頼通が、平等院の阿弥陀堂を建立しています。この庭園は浄土の世界を表現するように庭作りされたもので、正面の石灯篭は建物と池を結びつける重要な役割を持っています。平等院灯篭と呼ばれます。

1184年鎌倉幕府が成立し、仏教も禅宗が盛んになり、庭作りにも影響してきています。それまで阿弥陀如来を頼りとしていた仏教が、自然の中に真理を求め仏を乱すようになってきました。それに伴い、庭も鑑賞の場から精神修養の場へと変化してきました。
つまり平安時代の景を写すことに主眼を置かれていたものが、庭作りの主眼が象徴化抽象化の方向に変化しようとしてきたのです。

室町時代。多くの寺院が建立され、現代にも知られる名園が数多く作られています。この時代には、抽象化がさらに進み、無の思想を基本とし、感覚を超越した無の思想を持った庭園として作庭されるようになってきました。
現代でも用いられていますが、三尊石という石組みがあります。これは中央の大きな石で如来を表し、左右の石はそれぞれ菩薩を表しています。

江戸時代になりますと、諸国の大名たちは参勤交代で旅の途中で見た風光明媚な景色を庭作りに取り入れるようになりました。つまり、それまでの宗教を基礎とした様式から、風景を題材とした様式に変わってきたのです。池を中心として周りを回遊しながら鑑賞する形態もこのころ発達してきました。

明治、大正時代になりますと、大名などの権力者はいなくなり、外国の文化が入ってきます。このため、以前の大きな庭園を手に入れた人も芝生の面積を拡大するなど社交の場としての要素を取り入れるようになって来ました。
現代に至って、住宅の庭は明るく利用しやすいものになってきました。街々には公園が整備され、人々の憩いの場となっています。
その延長上にあるのかもしれませんが、私は個人住宅の狭い狭い庭を趣味を楽しむために自分で作り手入れしています。
 

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