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趣味を楽しむ:洗礼

キリスト教では、洗礼を通してキリストにより、すべての罪が許されるとされています。
魂に保護が与えられることを望み、幼児のうちから洗礼を施す習慣が出来ました。
洗礼の執行者は一般に司祭・牧師などの聖職者・教職者です。
これは趣味を楽しむために調べてみたことです。


キリスト教の洗礼の変遷

キリスト教は洗礼の根拠を『福音書』によっています。洗礼は一般に司祭・牧師などの聖職者・教職者が行っています。

洗礼を通してキリストにより、原罪および、それまでに犯したすべての自罪が許されるとされています。
そのため、古代には洗礼後に罪を犯すことを嫌い、多くの信者は死の直前に洗礼を受けていました。
これは、当時の教理では、洗礼を受けた後に犯した罪が許される機会は全く無いか、1回のみとされていたためです。
しかし、古代末期から中世にかけて、教理が整備されると共に、魂に保護が与えられることを望み、幼児のうちから洗礼を施す習慣が出来てきました。

 

洗礼執行の方式

洗礼の形は、大きく分けて3種類あります。
  全身を水に浸す浸礼
  頭部に水を注ぐ潅水礼
  手を濡らし、頭に押し付けて水に沈める所作を真似る滴礼
の3種類です。

浸礼が始めの形であり、潅水礼も滴礼もそれを模した簡略の形であることは、それらを行っている教会も認識しています。
どの形でも良いと、全ての方式を認める教会もありますが、浸礼でなくてはならないとする教会もあります。
この相違は、主に新約聖書における洗礼の記事の解釈の相違、あるいは洗礼の象徴的意義の神学的解釈に基づく、と説明されています。

 

幼児洗礼

幼児洗礼の起源は、教派によりその主張に相違があり、はっきり断定できないのですが、おそらくキリスト教の初期にさかのぼるのではないかと思われます。
キリスト教の家庭に生まれた赤子は、すでにキリスト教会に属して生まれてきたものと理解され、神の民であると理解されています。
フルドリッヒ・ツヴィングリは、幼児洗礼は、神の民の肢として生まれた子供に対して、教会が責任を持つしるしであると理解しました。
マルティン・ルターは、幼児洗礼は「神の賜物」であって、完全に受動的に受ける聖霊の働きであると理解しました。
神が幼子のうちに初めて下さる御霊の働きによって、洗礼は、心からの真実な信仰の告白に導かれると理解しました。
このような考え方から、幼児における洗礼がさかんに行われるようになってきました。

 

銀のスプーンをくわえて生まれてきた赤子

西洋では当然洋食を食べていますが、そのための食器として主にナイフ、フォーク、スプーンが使われます。
これらの食器は洋白で作られることもありますし、その他の金属で作られることもあります。
しかしイギリスの昔の貴族など、限られた富裕層の人は、銀でできたこれらの食器(カトラリー)を使うことが出来ました。
銀のスプーンやフォークなどはとても高価ですし、手入れが大変です。
ですから銀のカトラリーを使えるのは富裕な人に限られていたわけです。
そういった背景から、富裕な人をたたえる言葉として、「銀のスプーンをくわえて生まれてきた赤ちゃん」という言い回しが出来てきました。
富裕な家庭に生まれてきた赤ちゃんは、生まれながらにして富裕ですね、という意味です。
なにも本当に銀のスプーンをくわえて生まれてくるわけではないでしょうが、そのように例えているわけです。 


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